T-moAのブログ

思ったこと、気になった事を話せたらと思います

夏の始まりか(飯)

今週末は体感ですが、急に暑くなってきましたね。まだ少しじめっとした感じだけど、これから肌を刺す様な暑さが来そうですね。

 

そんな中今日のお昼は鰻をたべました。

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暑い季節にはこれですね。美味しかったです。ただ歳ですかね、ご飯の量が多くて苦しくなりました。

 

8月の連休に向けて詰め込み仕事が忙しくなっていきますが、暑さに負けず明日を迎える準備を始めます!

 

本日は以上

 

 

酔った勢いで

嫁と話し合った結果

 

 

今日は嫁と久しぶりの晩酌

色々な話に花が咲き、酔った勢いで致してしまうかどうか

 

結論

・吐くよね

・立たないよね

・千鳥足…からの展開にはならないよね

・片方が襲われる、もしくは確信犯だよね

 

朝起きて、え?!何で隣で寝てるの?!

ないないない

 

以上

 

嫁と出会うまでの恋歴

私は幼少期より、18歳で結婚すると決めていた。

 

田舎で育った私はそれが当たり前だと思っていた。ただ問題が1つ、、、肝心の相手がいなかったのだ。

 

高校2年時に付き合っていた彼女に振られ、大学入学前に付き合った彼女にも振られ、それ以降全くと言っていいほど女性とのお付き合いまで持っていく事が出来なくなってしまったのだ。工業大学に通っていたこともあり、まともな出会いが無くなってしまったからかとも考えたが、どうやら違った。

 

今思うと理由は明らかだが、当時の私にはわからなかった。おそらく付き合う機会はいくらでもあったが、下記の事が原因だと思われる。

  • バスケばかりの遊び知らず
  • 友人関係どまり
  • 慎重になりすぎた

などがあげられる。

私は学生時代はバスケばかりを優先するあまり、せっかく仲が良くなった女性と会える時でもバスケを優先させてしまっていたのだ。

またバスケつながりで仲良くなった方がいたが、半年以上友達関係が続き、相手方が他の方に気持ちが持っていかれてしまった。早めに気持ちを伝えるべきだった。

その他、このタイミングで告白すれば絶対に成功すると思う瞬間でも(相手が酔った勢いで告白してきた)、今の関係が崩れてしまう事を恐れそれ以上先に進めなかった。

 

そんな事があり大学2年時、成人式後の同窓会。

ある意味奇跡が起きた。私は酒に酔った勢いで沢山の女性に絡んでいた。後日多くの女性から「昨日は楽しかった。今度遊ぼう、飲もう」等の連絡が来ていたのだ。その時が人生で一番のモテ期であり最後のモテ期だった。

 

毎週違う女性と遊び、それを当時のSNSで拡散していたのだ。若かった私は周りの友人達に羨ましがられて天狗になっていたのだ。そんな状況が長く続くはずもなく。皆一斉に去っていった。

 

夢の様な時間だったと今でも思い出すことがある。

 

そんなことがあり、大学3年時あるドラッグストアでバイトをしていると、人生で初めて心から美人だと思える方と出会った(ベヨネッタ似_個人の主観である)。バイト先の1つ上の先輩だった。告白して失敗、失敗。。。。4回失敗した。

その後私は就職の為上京し、転勤先でまた素晴らしい出会いがあった。

工業系の会社だったが、そこの新人担当の方が榮倉奈々宮崎あおいを足して2でかけたような美人な方だった。(個人の主観である)相手に恋人がいなかったという事もあり、猛アタックをし、連絡先を交換する所まで行きついた。

 

が、歳の差用もあったのだろう(6歳年上)ある時彼女の苗字が変わっていた。

 

絶望

 

 

その頃私はもう25歳を迎えようとしていたこともあり、少し焦っていた。

そこで私はまだ出始めて間もないマッチングアプリを使用した。

最初に使用したアプリは無料のものだったが、、、とても治安の悪い方が多かった。数人と遊ぶ機会や付き合う手前までいったが。結婚を考えると将来が不安だったためサヨナラした。

 

そして1年後、ありえない位の美女と付き合う事となった。先輩に連れられて行ったふりピンパブでの出会いだった。次の日遊ぶ約束をし、3日後向こうから告白された。有頂天である。最初はお金目的だと思っていたが、そうでもなさそうだった。仕事終わりにクラブに行ったりご飯食べに行ったり。お金は基本割り勘だったし、とてもいい子だった。

 

しかし、国境の違いは価値観の違いの繋がった。少しづつ合わなくなってきたのだ。嫌いになったわけではなかった。ホントに、合わなくなったのだ。それから方とのお付き合いは終わり、またしばらくフリーの状態が続いた。

 

自分には恋愛は向かないのだろうと思い、子の頃から趣味だったバイクに没頭していった。今思うとこの時バイクに没頭していなかったら、今の嫁と出会う事はなかっただろう。

 

その頃友人が私の家に泊まりに来て、相談したいことがあると言ってきたのだ。

あるマッチングアプリで彼女が出来た毎を報告されたのだ。いままでそういう経験が無かった為、その友人もどう付き合っていけばいいか私に相談したかったとの事。

 

お気づきだろうか。

 

こんな恋愛遍歴を持つ私に相談する不毛さを

 

そこでは適当に流して話を聞いていたが、どうやらマッチングアプリで出会ったと聞いた。私が使っていた無料のものとは違い、有料のものではあったがそこそこ有名なアプリだった。私もダメもとで遊んでみようと思い12か月契約のプランで申し込んだ。

 

3か月で今の嫁と出会った。

 

先に書き込んでいたが、私はその頃バイクにドはまりしていた。私と彼女との家は120㎞以上も離れており、下道3時間半はかかる距離だった。

 

丁度良かった

 

バイクのツーリングがてらの中継地点としてとても丁度い距離感だったのだ。

我ながら酷い話だ。だが、目的が次第に変わっていった。バイクに乗ることが目的だったが、嫁に合う事に代わっていった。移動手段も

【下道バイク→高速バイク→高速車】と変わっていった。嫁にすぐにでも会いたくて、移動手段をなるべく早く、快適に変更していったのだ。

 

時を重ね、今の嫁と籍を入れる事となったわけだ。

人生何があるかわからないものだ。

 

 

嫁との出会ってから結婚までは、今後違うブログで紹介していこうと思う。

 

 

 

 

バスケを辞めた理由

 29歳の秋、私はバスケットを辞めた。

 

私は幼い頃から数十年、バスケに明け暮れていた。

当時小学4年生だった私は、友人に誘われたのを機に体育館へ向かったのがバスケとの最初の出会いだ。バスケなんてものは体育館の4隅にリングが有る、程度の認識しかなかった私にはレイアップもドリブルも良く分からなかった。

 

先輩たちの初めて見たバスケの動き、シュートフォーム。とてもかっこ良く感じた光景を今でも鮮明に覚えている。初めて打ったレイアップ。楽しくて嬉しくて、何度も何度も繰り返した。

 

そんな私がバスケにのめり込むのに時間はかからなかった。その想いあってか、中学、高校、大学、社会人になってからと、他の協議には目もくれずバスケばかりを続けてきた。

 

中学の頃は強い先輩達に恵まれ、県内は無敗でずっと1位の座におり、その甲斐あって私も県の選抜に選ばれた(Bチームではあるが)

翌年、自分の代でも県で1位になることが出来き順風満帆な中学生時代だった。

 

高校はスポーツ推薦を頂き進学し、自分の代では県内3位の位置まで登ることが出来た。県代表で出た地方大会、残り30秒で私の3Pシュートが2本連続で決まり、最後の1本が逆転のブザービートだった。あの時は自分は何てことをしてしまったのか!と、震えが止まらず、チームメートに笑われたもいい思い出だ。

 

大学進学時、私は一度バスケを辞めようと思っていた。私の進学先は地元の工業大学で、バスケ部はあったがとても弱かったのだ。もうあの熱量を味わえないのかと思うと虚しくなった。そんな時、地元の社会人チームの方が声をかけてくれた。パワーもスキルもさぼり方も今までに経験の無いもので、私は失いかけていた熱量を再び取り戻し、県2位の位置まで登った。

 

そして社会人となり上京した私は、もうホントにバスケは出来なくなるんだと感じていた、、、、が、バスケは私を放っておいてはくれなかった。転勤先で自己紹介でバスケ経験有の話を出すと他部署の方が飛んできて「一緒にやろう!」と暑苦しい感じで誘われ、気が付いたらバッシュを履き、一緒に試合をしていた。

学生の頃の様な熱量は無かったがこれはこれで楽しかった。

 

そんな活動を続けていたら、練習に参加していた別の方から「クラブチームで一緒にやらないか?」と誘われた。私の中でくすぶっていた気持ちが大きくなり、また熱量を取り戻せるかもしれないという気持ちになった。

 

 

これが私がバスケを辞める小さな切っ掛けとなるとは、この頃は思いもしなかった。

 

クラブチーム活動を行っているだけあって、そこそこ上手な人が多かった。

次第に地元リーグで勝ち上がり、5部から4部へ、3部へ上がったところでチームは勝てなくなっていた。その頃からかチーム内でのもめ事が増えてきた。点を量産する子が、「俺がいなきゃチームは勝てない」と天狗になりだしたのを皮切りに、不満を抱える者、そもそもそこまでの熱量の無い者。はっきりと出始めた。また、結婚して練習に来れなくなるメンバーが増え、次第に練習も3人だったりする日も増えていった。

 

その頃から、私も仕事が忙しくなりバスケット処ではない日々が長く続いてしまった。

そしてある練習の日、体が重く、膝の靭帯がミシッ!となり動けなくなった。

怪我なんてものは今までに何度も経験してきたが、今回は違った。怪我自体の症状は対した事は無かったが

 

気持が冷めている自分に気が付いたのだ。

バスケが出来なくなる。ではなく、日常で不具合が出る結婚後、子供が生まれたら、、、、

そんな心配が先に脳裏に浮かんでしまったのだ。

そしてつまらなくなっていた。

新しく来た若い子についていくのもしんどくなり、シュートの成功率も下がる一方

どんどん下手になっていく、動けなくなる自分に愕然としていた。

 

そして自分からバスケ自体への熱量が下がっていることに気が付いた。

 

丁度その年、私はまた転勤がありその地を離れた。

新しい土地でもバスケに誘われたが、私は直ぐに断っていた。

 

そして私は、バスケットを辞めた

 

体は鍛えればまだ競技自体は出来る。今でもNBAは毎回チェックするし、今年のプレイオフも熱くなって楽しんでいる。バスケは今でも好きだし、たまにシュートを打ちたい衝動に駆られる時もある。

 

私の中でバスケは愛すべきものだが、最優先事項では無くなった。自分に子供が出来て、バスケをしたいと言われたらどう反応すればいいだろうか。そんな気持ちを自問自答するようになった。

 

バスケとの関わり、引退の言葉は自分には無いと思っていたが、、、

人生、何があるかわからないものだ

何故私はマンションを購入したのか

私は今年の春、マンションを購入した

 

去年の冬、賃貸アパートのポストに一枚のチラシが挟まっていたことがこの話の始まりである。

 

私は大学卒業後地元を離れ、東京の会社へ就職した。が、直ぐに地方へ転勤となってしまった。その後今の妻と出会い結婚した。妻の実家近いということもあり、私たち夫婦にも良くしてくれるという事から、この地に骨を置こうと決めた。

 

元々家やマンションの内見は好きだった為、冷やかしとまでは言わないが良く見学に行っていた。毎週の様に内見に行く時期があったが事が原因なのか、どれも変わり映えしないものとなり良くわからなくなっていた。

しかし、ある時自宅に届いたマンションのチラシを見て

 

ここに住みたい!!!!

 

と思える場所が記載されていたのだ

 

人によって理由は様々だと思うが、私の一番の決め手はその立地だった。

主に下記の内容である

  • 子供手当の分厚さ
  • 気候の良さ
  • ハザードマップ安全区内
  • 道路沿いでありながら、幅広く出入りが容易な出入り口
  • 運動施設、商業施設の豊富さ
  • 主要駅との距離

これから生きていく上で必要な物はすべて揃っていると感じたのだ。

 

早速私は工務店に連絡を取り、資料請求しモデルルームの見学に行った。

改めて拝見し、近所を少し妻と散歩した。二人で話し合い、この場所以上の場所はないと意見が一致し購入への流れとなったのだ。

 

余談ではあるが私の実家は中々の田舎であり、マンションに住むという事は想像したことが無かった。実家は農道沿いの住宅地だったし、友人たちの家も似たような形、山の方へ行けばトタンの屋根の家も普通にあり、マンションなんてものは市内まで出なければ拝むこともできなかった。私個人の憧れであったのだ。

 

同じ様な境遇の方、まったく共感できない方様々だとは思うが

これが、私がマンションを購入した理由である